陶器の歴史

陶器の歴史 → 時代別

時代別

粘土は容易に成形できる性質があるので、古くから各国で粘土を使って陶磁器が作られてきました。
陶磁器の起源は数千年前、エジプト、メソポタミアあるいは中国に人類の文化が芽生えた頃にさかのぼると言われています。
当時、すでに粘土で壷や建築用のタイル、れんがが作られていました。
それ以来、陶磁器はギリシア、ローマ、ペルシア、あるいは中国において文明の盛衰と歩みをともにし、それぞれの時代の特色ある技術を生みながら今日に至っています。
日本の陶磁器は、中国、朝鮮半島の影響を受けて発達しましたが、17世紀以降は習得した技術を基礎として、日本独自の作風がつくり出されました。
19世紀後半から西洋の科学技術が積極的に取り入れられて、製造の科学的研究が進み、製造技術が発達して、今日では世界で陶磁器産業の最も盛んな国になりました。

・縄文・弥生
日本最古の焼き物は縄文土器で約1万2000年前にさかのぼり、紀元前3世紀までの時代です。縄文土器は、現在でも日本や世界の多くの地に見られます。
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・奈良
焼き物に色がついたのは、中国から奈良時代に三彩陶が入ってきてからで、それまでは自然釉(窯の中で燃料の薪が溶融剤となって、粘土中の長石を溶かしてガラス質をつくる)だけでした。日本でもその影響で、正倉院に残る奈良三彩などがつくれるようになりました。
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・平安
元来、歴史的に見ると日本の陶磁器に関する技術は中国に対し2000年、朝鮮に対し1000年の遅れがありましたが、高火度の釉薬がかかった焼き物は最古の物で平安時代からです。
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・鎌倉・室町
熊山の斜面に窯がいくつか築かれ、主に大甕、壺、摺鉢など日常雑器が焼かれました。
この時代の甕や壺の外側には紐作りによる平行な凸凹目が見られ、また口作りもほとんど玉縁となっています。
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・安土・桃山
十六世紀、瀬戸、美濃ではこれまでの灰釉や鉄釉に加えて緑釉、黄釉、白釉(長石釉)が登場しました。
これらは当時の千利休の茶の湯・詫茶と結びつき、美濃では黄瀬戸(黄瀬戸小花瓶)、瀬戸黒、志野(雪志野花瓶)などの桃山時代を代表する日本独自の焼き物文化が花開くことになりました。
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・江戸
江戸時代徳川の権力も安泰し、この時代あらゆる文化が繁栄しました。
この時代になると陶工達は技術も習得し青磁、白磁、染め付け、赤絵も作れるようになっています。
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・明治・大正
江戸の好景気は続かず、多くの窯が「まるもの」と云われる日用品を製作する窯を除き、哀れにも潰れて行きました。
勿論辛い試練のこの時期を耐え抜き今日に繋いだ名窯もたくさんあります。
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・昭和・平成
その後続いた苦難の時代をのり越えて桃山茶陶の再現を目指した「中興の祖」金重陶陽(昭和31年に人間国宝に認定。1896〜1967)の努力によって 備前焼が再評価される様になり、今日の備前の繁栄を得たと言われています。
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